ナスカ行きのバスを思い出した。
ペルーのナスカに行ったのもずいぶん前。
クスコという古い都市からアンデス越えのバスで行った。今はどうかわからないけど、クスコからナスカは普通直通では行かない。みんな遠い南回りのアレキパ経由で行っていた。なんで?クスコから真西に向かった方が、地図では近そうやん!と思っていたら、顔見知りになってたドイツの旅行者から、西行きのバスを教えてもらった。
「一足先にナスカに行ってるから、会えたらいいね、情報ありがとう。」と、その人に感謝しつつ、バスでクスコを出たのは朝の4時だったか5時だったか。長距離の旅行に欠かせない食料や水を持たずにバスに乗ったのはなぜだったか覚えてない。普通は途中で売店や食堂で休憩があるので大丈夫だろうと思ったのはおぼえてる。
バスの旅は途中までは快適、古いバスはペルーでは当たり前だったので、乗り心地の悪さは気にならない。途中で横に座った兵隊さんの武器をさわりながら、「これ本物?」などと平和ボケしたバカな会話をしたり、ペルーの民族音楽の世界そのもののような山の景色をみて感動したり。
忘れていたのは、いくら地図で近そうに見えても、クスコとナスカの間には山が、それもアンデスの高い高い山があったこと。自分の乗ってるバスが、断崖絶壁の道を走ったり、橋とは名ばかりの丸太のつり橋と通ったりしてるのを見て、初めて実感したのもバカバカしいけど。おまけに道にはたくさんたくさん十字架が立っていて、これがいろんな事故の跡なのを知らなかったのはある意味ラッキーだった。
高度が上がっていくにつれて寒くなる。古いバスの窓からはすきま風がふきまくりで、当然毛布なんて持ってなくて、凍えそうだった。しまいには猛吹雪になったりして、この旅に終わりが来るのかわからない気持ちになった。
猛吹雪の中でもごくたまに小さな小さな村があって、誰かがバスから雪の中へ降りていく。でもほとんどはアンデスの荒野しかない。
当然考えていた売店や食堂もなく、バスが翌朝だったか、翌々朝だったかに低い土地に下りるころには寒さと飢えと渇きで死ぬ思いだった。それでも古い遺跡があったりすると、必死で見ていた。
ナスカに着くころには、窓からは、山の風景とはまったく違う、雨の降らない乾いた土地が見え、気温もどんどん上がっていった。
気がつくと、周りの乗客が、「君はナスカに行くんじゃなかったの?」「ナスカはもう過ぎたよ!」とか回りで叫んでいた。運転手さんは、「ここで降りて、反対側のバスをつかまえろ。」というので、わけのわからないまま、この思い出深いバスからあたふたと降りた。
どこだろうと周りを見ると、なんとナスカの地上絵のど真ん中を走る国道の上だった。
間近で地上絵を見て驚いたのは、その描き方。ただ土を両側によけるようにラインを作っていってるだけ。学校の体育の時間によく運動場に落書きしたのを思い出した。
有名なナスカ文化の研究者のライヒ博士がつくった物見櫓がある。大喜びで登ったりしたが、地上絵はあまりわからなかった。
ナスカの地上絵といえば、小学校低学年のときからあこがれ続けて、本物との出会いはこんな感じ。